2021-05

羽衣区について

羽衣区の名の由来

西町と泉町の一部から成る羽衣区の旧名羽衣町が誕生したのは明治後半というだけで、詳しい年月日はわかっていません。 羽衣町という名の由来には二つの言い伝えがあります。一つは浅間大社祭神の木花開耶姫が産御前松(南新町・現在の浅間町にあったとされる...
羽衣区について

羽衣区の誕生と発展

明治後期の羽衣町は松山町から野中を経て沼久保へ向かう釣橋街道に沿って開けていたというものの、1890年(明治23年)発行の地図では町内一面が水田、その中に2、3軒の家屋のみが記されているだけという小さな集落だったことが伺えるといいます。 そ...
羽衣区について

羽衣劇団

昭和の初めから10年ごろまで羽衣で旗揚げされた劇団「羽衣劇団」は、諏訪部万次郎、妻のときが作ったとされています。神社の祭典や催しものがあると呼ばれ上演を重ね、劇団長、万次郎の名から「万ちゃん芝居」と呼ばれ人気を博したといいます。昭和11年に...
羽衣区について

羽衣区民の学び舎、貴船小学校

大宮尋常高等小学校が人口増加に伴い大正11年に貴船尋常小学校として開校。昭和16年には貴船国民学校に改組。戦後、再び貴船小学校に復帰。 木造校舎は昭和47年に改築。大正14年1月に建てられた正門も近年になって改築され、往時を伺い知ることはで...
羽衣区について

羽衣区最寄りのJR身延線・西富士宮駅

旧富士身延鉄道、現在の身延線は、1890年(明治23年)6月26日に富士馬車鉄道として東海道線鈴川(現在の吉原駅)と大宮間(現在の富士宮駅)を開業。その後、1913年(大正2年)7月20日に富士と大宮町間の蒸気鉄道が開業し、入山瀬、富士根、...
羽衣区について

羽衣跨線橋の歴史

羽衣町東南一帯の潤井川沿いは、かつて田畑が広がる田園地帯でしたが、1972年(昭和47年)に着工した神田川土地区画整理事業に伴い神田川町が誕生。羽衣町と神田川町を結ぶための跨線橋が架けられました。 参考文献 市政施行50周年記念 なつかしの...